2012年5月7日月曜日

大学での悩み事… 私は音大3年のピアノ専攻に在学中です。 前々から悩みがありま...

大学での悩み事…



私は音大3年のピアノ専攻に在学中です。



前々から悩みがあります。



私の講師は…かなり芯が強く、固定観念も強く 、自己主
張がはっきりした、性格がキツめの人です。





先生が怖くて今まで意見できずに8年ぐらいが経ちます。





自身でも、このままではダメだ!



自分の意見や表現を伝えないとダメだ!…



そのうち落ちこぼれていき、埋もれて行ってしまう…



とは…分かっているのです。



が!!!





つい先生の前に座ると、言いなりになってしまいます。



そして、この頃自分が分からなくなってきました…





自分は先生に言われた通りに表現、演奏をして…



まるで自分は先生の分身、操り人形みたいになっている…





自分はなぜピアノを弾いているのか…



なぜ音楽をやっているのか…



大学に行って何をしたかったのか…



将来の夢……





何を表現できてると言うのか…



が、分からなくなってしまいました。





又……先生に対して、少しでも自分の表現、作品に関しての理解、意見をのべると





では、私が間違っているとおっしゃるの?



ただ同じ様に弾けば良いだけなのに!…





私の指導が気にくわないから反発するのね!



と、



なってしまいます。





私は先生を批判しているわけではありません。



ただ、人間一人一人が異なる様に、感性も一人一人違ってきます。



先生は鍵盤を激しく叩き、外面的で情熱的な素晴らしい演奏です、



私は鍵盤を撫でて、心から沸き上がるような内面的で情緒的な演奏です。



ピアニストのタイプが違うのだと思います。



ですが、



なかなか気持ちが伝わりません…



自分でもこの頃、先生と同じ弾き方になって来ているような気がしますし…



他人からもよく弾き方に変わったね…



なんかあった?





と言われます。



どうしたら先生の気を損なえずに自分の感性を生かす事ができますか?





先生にはとてもお世話になっております。



先生で私はピアノが好きになりました。





ですが…

もう自身がありません。



誰にも相談できなかったのでこの場を借りて音楽の相談をさせて頂きたく思います。



長文申し訳ございません。



真剣な悩み事ですので、真剣にお答えして頂ける方…



是非、回答をお待ちしております。













↓の方の結論に近いですが、

「先生を変える」というのが

精神的にもいちばん辛くない方法だと思います。

しかし、言うことは簡単ですが、

実際にそれを行うことは容易ではありませんよね。

しかし、先生と生徒の関係って、下手をすると

一生つきまとうものですので

その先生との関係が維持されたまま、

あなたが精神的に参ってしまってはどうしようもありません。





私の専攻は指揮なんですが、

当然、音大受験にあたって

ピアノも相当程度弾けなければいけないし、

ソルフェージュも生半可なレベルではなかったわけです。



ピアノもソルフェも個人レッスンにつきました。

しかし習いたかった指揮のA先生は何回目かに落ちた時に

こうおっしゃったんですね。

「ピアノの先生もソルフェージュの先生も

君のことを全く分かっていない。先生を変えなさい。」と。



A先生は名前を出せば泣く子も黙るご高名な先生でしたから

「A先生から…」と言えば

共に強気なピアノとソルフェの先生も黙って従うしかありませんでした。

で、先生を変えて臨んだら、あら合格(笑)。



ところが、A先生も強烈な個性の持ち主で

門下には「そっくりさん」がいっぱいいたんですよ。

でも、A先生は「こうであらねばならない」という面は強かったものの

生徒の良い面は許容するという面も持ち合わせていました。



一方私はあまりにも「そっくりさん」が多いのに辟易していたこともあり

「先生は先生、私は私」ということで

「先生の良いところを盗む」ということに徹したのですね。



そのA先生とは真逆の性格の、B先生から

私は幸いにも目をかけられていたんですよね。

そしてB先生にも習いたいと思いました。

しかし、A先生とB先生は知る人ぞ知る「犬猿の仲」。



しかし、個人的にちょっとしたトラブルがあったために

上手くA先生からB先生に変わることができたんですよね。



声楽やっているうちのカミサンは在学中は

コワイ先生に泣かされてばかりいて、

実際、カミサンの先生の指導の後って

発声がおかしくなっていたんですよね。

でも、カミサンはそこらへんは上手かったのですが、

もともと習っていた信頼できる先生のところに内緒で都度行き

発声を矯正してもらっていたんですよね。



私の場合は、

良いきっかけがめぐってきて上手く先生を変えることができました。

カミサンは、辛かっただろうけれども二人の先生の間で頑張った。



ただ、私のようにいったん先生と縁が切れてしまうと

精神的にかなり楽になったのは確かです。



先生を変えるか、もう一人の先生についてみるか、

そこはあなたの判断だと思いますよ。

別の先生を見つけたければ

他の音大の夏期講習とかを受けてみてもいいかもしれません。



ただ、一つ確実に言えるのは

今の先生だけについて卒業するのはよくないということです。



良いきっかけ、巡り合わせが訪れることを願っています。








全文読ませていただきましたが、

まず



・先生の音楽解釈に満足していますか?



というところが見えませんでした。

もっと言えば、



・先生の音楽解釈が楽譜の何に基づいていて楽曲全体においてどういう意味があるか考えてみましたか?



というところでしょうか?

その結果がいろいろ出ると思います。



1 理にかなってはいるが自分の演奏法とは合わない

2 理にかなっているしこれは取り入れた方がいい

3 理にかなっていないが先生が怖いからそう弾く

4 理にかなっていないから無視する





現状ですと4は無理そうですのが、

これが1~3のどれなのかによって大きく異なります。





私は基本的に大学を出てから一気に能力が伸びてしまったタイプで、

(コンクールの受賞歴が12歳・31歳と極端すぎる(笑)大学時代は何やってたんだ本当に。

クラコンで24の時賞を獲れなかった作曲家で31の時好演賞までは行けたという話ですけど)

なおかつ大学時代の恩師に指定された曲は基本的に苦手分野の曲ばかり。

でしたから理にかなっているかどうかが分からずとりあえず先生の言うとおりに弾いてみる感じでした。

が、その結果練習の過程で

「あれ、自分ならこう弾くかも」

と思った部分は

あくまで先生の指導の範囲内でちょっと変えてみたり……というか練習中に勝手に変わっていくんですけど。

それでレッスンに持って行って何も言われなければそれでいいだろうし言われるとしたら何か解釈が違うのだろうと。

そんな感じでした。

一方得意分野であれば、

強弱を楽譜と違うもので持っていき、

「ここはこっちの方が……」とか意見を交わすこともできる雰囲気でしたね、そこは正直恵まれてました。





さて、

長文書きましたが、

要するに今回のぶつかりについてひとことでいうと

「それは感性の違いだけなのか」

ということです。



感性ではどうしようもできない、楽譜上の絶対があります。

たとえば、最近知恵袋で話題になってるショパンの10-12ですが、

これの1小節目を「ロマンチックがいいから」といってピアニシモ、テンポ40で弾いたら……



極端すぎましたが、

要するに先生の指導に対して楽譜解釈上質問者さまがどう思っているか、

それが本文から見えなかったので、

その1点かなぁと思うわけです。





ただその1点でいうと非常に大きな問題があって、

「質問者さまが本来弾きたい演奏の解釈が楽譜上合っているのか間違っているのか」

を今判断してくれる人が誰もいないということ。

先生の言うとおりだけ弾いていれば先生の解釈になるわけですし、

質問者さまの解釈の方が本当は理にかなっているかもしれない。

または全然理にかなっていない虞すらあります。

そのどちらなのかを判断できずに卒業して1人でピアノと向き合う時が来たとき、

はたしていい演奏ができるのか。



私は間違った解釈による「飛翔」(シューマンです)を幾度となく聞いてきてしまいました。

それはまだ中学生がほとんどだったためそれほど深刻ではないのですが、

つまりこれを教えた先生がそういう解釈なのかなぁと思ってしまうわけで、

こうして質問してきた質問者さまにはそういう指導者にはなってほしくないわけで……

ただ、今の状況だと、

卒業後誰かにピアノを教えることになった時。

おそらく今の状況の反発から、質問者さまの解釈のみに基づいた演奏を指導することになるでしょう、

それが正しかったのかどうかが判断できないわけです。

そしてその判断は今のうちに着けないといけない。



大学ってそういう時間だと私は思います。

大学4年間で指導していただいたこと、初めて気づいたこと、そして伴奏で気づいたこと、

それらが卒業後に生きるんです、

というか私はそうでした。





以上を考えた上の結論として

「大学の過程とは全然別の曲でほかの先生に着くしかない」

が回答でしょう。

このままでは質問者さまの解釈や弾きたい演奏が正しい演奏なのかが分からずに終わります。

たとえその解釈が間違っていようと「間違っている」ことが分かることが今は大切。

正しければ当然その演奏を質問者さまの演奏として伸ばさなければいけないのが今の時期です。

それができていない。

今の先生の下ではできないでしょう。

セカンドオピニオンってやつが必要な状態であるとしか考えられません。



ただしそのうえで、

先生の解釈が一体楽譜や作曲家のどこに基づいているのか、

それを改めて考えてみる必要はあると思います。

同じ楽譜を見ても演奏が違うのは、その楽譜のどこから何の解釈を持ってきたかの違いであり、

時には両者正解ということがあります。

ですので1度そこから向き合ってみて、それでも疑問が出るのであれば(この質問文を見る限り出ると思いますけど)

ほかの先生と今の先生の2名に習うしかないでしょう。





あと、今のうちに全然違う分野をやっておくべきでしょうね。

オペラの伴奏とか交響曲とか(多分オケの授業があると思いますが)。

音楽の解釈や幅を広げておく必要があると思います。







専門家になりたいのなら、もう衝突を恐れている時期ではありません。

また自分の音楽を先生であろうがぶつけられないなら、専門家を目指すことは無理でしょう。

先生の機嫌を損なわずに・・という前提があればこれまでです。

まだ真剣な悩みとは思えないですね。

あなたが受身でいる限り、先生はいつまでもあなたを子供の頃と同じにしか見てもらえませんよ。本音でぶつかって大人としての自分の意見を言えなければ独り立ちはできないし先生も本気で考えてくれません。

その結果破門されても仕方ないくらいの気持でぶつかって、真剣に悩むのはそれからです。

もうそんなレベルで悩む年じゃないと思いますが。







どんな人であろうと、人ひとり前にして、

自分を表現出来ない時点で既に芸術家ではない



才能は磨いてこそ光るものだと言うが



本当に才能がある人間というのは、

その才能を隠そうとしても滲み出てしまうもの



磨かれるとうの前から光り輝いているのだ



あなたの才能が本物がニセモノか、今こそ殻を破る時ではないのか

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