2012年4月29日日曜日

有名なクラシックの作曲家で、絶対音感のない人って、いるんですか?

有名なクラシックの作曲家で、絶対音感のない人って、いるんですか?







「ソルフェージュ」の出来ない人はいないでしょうが、「絶対音感のない人」の方が多いと思います。



http://goo.gl/KdhCT

ソルフェージュ wiki



http://goo.gl/oSHIJ

絶対音感 wiki








たくさんいると思いますが。

私が以前大学で講義を受けた有名な客員教授の作曲家も、絶対音感は持っていませんでした。



ちなみに絶対音感を持っている人は、音楽の道に進まない人間の方が多いと思いますよ。

理由は簡単です。絶対音感は芸術的な感性とは全く別個のもので、さらに「お金」には一切ならないことを知っているからです。



絶対音感を活かした私の趣味としては、JASRAC承認の某投稿サイトで着メロを投稿して現在まで7万人以上にDLしてもらってますが、まったくお金になりません。ポイントで商品に換算のみです。

お金にならない以上、絶対音感を持っている場合は趣味で音楽を続けて行った方が、それを仕事にするより楽しい(であろう)というのがひとつ。

もう一つの理由は、本当に芸術的に優れている方は、演奏家でも作曲家でも歌手でも、最強の相対音感を持っているということです。絶対音感というのはある種の機械的な能力であって、芸術的な感性というのは音に対する相対的な感覚(その集合が曲になっているわけですから)が求められていると思っていますから。



下の方の回答にもありますように、音楽を専門としている人ほど絶対音感相対音感なんて話題にすら出てこない、

勝手に何もわかっていない一般人が神聖視しているだけ、というのが本音ではないでしょうか。



音大では絶対音感の研究などテーマにすらされず、全く音楽と関係ない大学が脳科学の一環として絶対音感を研究しているという現象も、音楽の専門家と他分野の人とのギャップでしょうね。







いま、この国で、「絶対音感」といわれているものは、ラの音を、442ヘルツまたは440ヘルツ(ここですでに差異がある)にして、平均律で調律したピアノの音を記憶している能力のことです。



モーツァルトらの時代では、ラの音はもう少し低く調弦・調律していましたし、もっとさかのぼればハ調のドレミが、いまのロ調のドレミに相当していました。このように音高は時代によって異なっています。

また、現代でも、日本のオーケストラとアメリカのオーケストラ、ヨーロッパのオーケストラは、それぞれ、異なった調律をしています。

あるいは、バイオリンなどの楽器では、ピアノでは同じ音になるシのフラットとラのシャープは、必ずしも一致しません。調性によって違った音をとります。また、金管楽器は、倍音によって音をつくりますから、平均律とは異なる音を出しているとおもわれます。



このように、時代によっても地域によっても、楽器によっても基準音は異なっているのです。



それを、今の日本では、「絶対」だと誤認し、その能力を神聖視する人がいます。

このような議論が、一般の人々(音楽の専門家ではない人たち)のあいだで流行しているのは、なぜでしょう。

日本以外にこのような国を知りません。俗受けすることだけをねらっている「芸能人」、「芸人」たちのせいでしょうか。それとも、某音楽産業が低年齢層をその音楽教室に取り込もうという謀略でしょうか。



それぞれ、その時代に行われていた基準音や、それぞれの調性は、その時代の専門家なら、ある程度はわかるのでしょう。

しかし、いまこの国でいわれている「絶対音感」については、なかったといえるのではないでしょうか。「絶対音感」は、むしろ、音楽をする上では障害にさえなるかもしれません。

木管五重奏曲をやって、すぐに、弦楽四重奏曲をやるなどのときには、むしろ「絶対音感」は、邪魔になります。モーツァルトなどのように、あちこち演奏旅行をしていた作曲家は、それぞれの地域で行われているドレミで演奏をしなければならなかったのでしょうから、むしろなかったといえるかもしれません。いや、幼少のころは、世界が限られていましたから、そこでおこなわれる音を記憶していたでしょうが、世界が広がるにつれて、不便になり、それを意識的に消去したと考えられないでしょうか。モーツァルトには、教会の中だけで演奏されていた門外不出の多声部の曲(たしか、5声の曲だったような?)を、それを一度聴いただけで、譜面に書き起こしたというエピソードも伝わっています。これは、「絶対音感」があったのか、それとも、調性感によって、調性を把握し、音高を確定できたのか、それは不明です。







「絶対音感」は最近言われていることですから、そもそも歴史上の作曲家にあったかどうかなんて検証のしようがありませんね。しかしながら、作曲家はいわゆる「絶対音感」なんてなくても「相対音感」で作曲は出来ますし、楽器もやる人ならばある程度は訓練で身につきます。先天的な「絶対音感」なんてある意味どうでも良いことです。







今の作曲家はどうか知りませんが、音楽室の壁に貼ってあるような大作曲家は絶対音感なんて無かったでしょう。そもそもA=440と決められたこと自体がつい50年ほど前のことですから、それ以前は「絶対音」自体が存在しません。当時もし固定の音感(絶対音感)なんてあったら、他の人とアンサンブルできませんから、音楽経験が乏しくなり、あまり大音楽家になれないと思います。





追記

上の方が「なぜ日本で絶対音感が流行しているか」という疑問を投げかけているので、それについて。



おそらく名称が誤解されているからでしょう。「絶対」というのは、「相対」の反対の意味です。絶対音感の信者は、その意味を分からず、何かすごい能力であるかのように誤解しているわけです。



相対音感というのは、ドレミファソラシドの音程がどんな調でも認識でき、ハーモニーが分かるという能力ですが、絶対音感というのは単に「何ヘルツは何の音」というのが分かるだけですから、音楽をするのに必要なのは相対音感です。絶対音感は音楽をする上では邪魔になり、音響物理学者にとって便利なものです。



ところが日本では「絶対音感」という言葉の響きが「すごい音感」というように勘違いされてしまい、あたかも優秀な音楽家が持ち合わせる能力であるかのように言われるようになってしまいました。



今後このような勘違いをなくすには、名称を変えるしか無いように思われます。







結構いるのでは?



絶対音感なんて、なくたって十分音楽できますからねぇ。

場合によってはわりと邪魔だったりするし。

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