2012年5月4日金曜日

音楽科が育つ環境として、どんな環境が良いと思いますか?経済的に裕福だとか、家...

音楽科が育つ環境として、どんな環境が良いと思いますか?経済的に裕福だとか、家族の理解があるとか、逆に複雑な家庭環境が音楽に投影されるとか、あなたはどんな環境で育ちましたか?それはあなたにとって

良い環境でしたか?それとも環境などは無関係ですか?







うちは物心つく前から両親が離婚していて決して裕福とは言えませんが、父は学費や養育費などは欠かさず払ってくれていたので、私自身はお金に困った記憶はありません。

3~11歳までバレエ、それ以降アクターズスクールでダンスと演技を習ってました。



音楽と出会ったのは中学の吹奏楽部でサックスを吹いたこと。中3の時に音大の先生に4ヵ月習いました。先生は「始めるのが遅かったから技術やソルフェージュはまだまだだけど、人の心を打つものがある」「絶対素質があるから高校3年間習って音大に行きなさい。レッスン料なんていくらでもいいから」と言ってくださったんですが、母は「お前に才能なんかあるはずない!」「きっと誰にでもそう言ってボッタクってんだ」と言って続けさせてもらえませんでした。

その後精神病んで自殺未遂したり入院したり…音楽と離れるとろくなことないです(苦笑)



大学受験の時、クラシックはもううんざりだったけど他にやりたいこともないのでボーカル志望で音楽教室に行ったらソルフェージュの先生に「あんたは絶対声楽!ポップスなんかやってる場合じゃない!クラシックやんなさい!」と無理やり声楽の先生のところへ連れてかれて、一年間習って合格し、現在に至ります





育った家庭環境は最悪で、母は「お前なんか消えろ!死ね!」と言いながら殴ったり蹴ったり。真冬に布団がもらえず新聞紙にくるまって寝たり(実際寒くて寝れない)気分で食事がもらえなかったり、夜寝てたら突然母が私の腹を蹴りに来て、首締められて殺されそうになったり。「バカでブスで最悪な人間~それがお前~早く死ねよターコ♪ぎゃはははw」とか歌ってたり。

まぁ、8歳で自殺を考え、毎日なんかしらあって声が出なくなるまで泣いてるような感じでした。







そんな子供時代だったおかげか知りませんが、「人の心を打つ」というのはあるのかもしれないです。まだ声楽はじめてから2年目で、全然下手くそなのに、人によっては凄く感動してくれたり…。

泣いてばかりいたせいかわかりませんが、独特の声らしく、「こんな透明でキレイな声聞いたことない!」と言われたりします。

悪い点はやはりはじめるのが遅かったこと。せめて高校からピアノやソルフェージュをやっていればなぁと。



この環境が音楽家にとってどうなのか、まだヒヨッコなので結論は出せませんが、自分の進む道を信じて努力していきたいです



あと私を拾ってくれてこの道へ連れてきてくださった先生方には、感謝してもしきれません。言葉にならないです








私自身はあまりにも平凡過ぎて、書く事はないのですが、一人、お母さんが再婚して、義父さんとうまくいかずお婆ちゃんの家で育った子がいました。それ以上何も語らなかったけれど、のめり込み方というか、ピアノの前に座った瞬間、表情が変わるというか、音大でも目立っていたし、凄く上手かったですよ。誰も聞きもしないけど、色々あったんだと思います。この質問を見た時、ふと彼女を思い出しました。彼女は、悲しみさえも音楽の糧としていた、そんな人でした。







音楽に限らず、人生金、金や!金があれば、好かん親から自由になれる、ワシはド貧民の家に生まれて夢は飯を腹いっぱい食う事やった。音楽の先生からやってみんかい、言われてな、金さえあれば音大なんぞに行きたかったが、ワシは中卒や。しかしな、今毎晩、飯を腹いっぱい食うとる。環境は最悪やったが、金もためて音楽も楽しんどるでー







経済的には豊かに越した事はありませんね。

特に弦などは「楽器で負ける」と言われていました。



>家族の理解・・・これは経験上、「協力」は有り難くとも家族があまりにも耳が肥えていたり、親が音楽家である事が、必ずしも本人にとってプラスに作用さるとは限りません。少なくとも私の場合はそうでした。音楽に関しては父が厳しく、ちょっとのミスも聴き逃さず、伸び伸びと練習が出来なかったし、子供時代の発表会でも、父が見ている・・・それは大きなプレッシャーとなり、音楽を創り上げる過程に於いて、自主性が育たない、育ち難い雰囲気がありました。



>家庭環境・・・何度も身の上話をしては、どうしてネットなんかでホントの事言っちゃったんだろう・・・と後悔したものです。離婚こそしませんでしたが、両親は不仲でした。母は姑とも折り合いが悪く、暗い家庭で一人っ子として育ちましたので、孤独には強くなりました。(笑)父は何度か母に暴力を振るった事があり、今もそれはフラッシュバックします。母は冷たく、ヒステリーで、私は安心して親に甘えた事がありません。とても書き尽せませんが、そんな家庭環境が良い筈はありませんね・・・ただ、たまに思うのは、多くの人は、深い悲しみを知らず、どん底の生活も知らない代わりに、ライトを浴びる事もなく、贅沢とは無縁な生活。そんな人々の心のヒダを、クレヨンの色に例えると、平均12色くらい・・・でも私は24色です。寂しい思いをした分、いくつかの挫折に耐えた分、感情的には多彩なのだ、そう思うようになりました。子供の頃、夕暮れ時に、母に手を引かれて母の実家に行った事があります。それが何故だったかは忘れてしまいましたが、車窓から見た空の色、あの薄暗い景色は今も心に残っています。その影響か、私は絵の具を溶いたような、あでやかな色を好み、グレー、紺、茶といった服は殆ど持っていません。



私の場合継母だった訳でもなく、複雑とは言えないでしょう、しかし、私が内に秘めて来た葛藤は、誰もが持つものではないでしょう。それは確かに、音楽の表現に於いて投影されていると思えます。







音楽と一口にいっても、様々だと思います。

楽器に関しては、多くの方や質問者様が言われていることです。

多少は無理強いしても、音楽教師に言われたことを子どもに早くから徹底させていくと、力は伸びます。

子ども自身の「好き」という気持ちだけではかなわないです。

反対に、例えば声楽等は、楽器(体)が出来上がるのはだいぶ遅いですから、環境ではなく、本人の嗜好により身につけてきた感覚が大事にされていれば、問題ないです。むしろ、早くからあまりよくない合唱団などに入れ、声を壊してしまっていると、マイナス要素にすらなります。

私は中学生でポリープを作り、声楽家を諦めています。







理想を言えば父親に経済力があって、両親ともに子供の自立心、興味を伸ばす教育方針であること。父親の経済力は母親の精神的安定のもとになり、それが子供に与える影響はばかにならないからです。

音楽を幼少から続けられるかどうかは、接する時間の多い母親の余裕に依存するのです、大抵の場合(やめていった生徒の理由から判断しています)。

自分自身の環境にはあまり触れたくないのですが、全く音楽からはかけはなれた商売人の長男であったということが大きな障害であったことは間違いありません。音楽に目覚めてしまった高校時代、芸大の声楽科に進んだ先輩から熱心に誘われ、周囲の友人や恩師もそのつもりで指導してくれていましたが、自分自身の判断で家業を継ぐことを決め、断念したことがありました。一般大学の進んだ後、数年で家業は倒産し、私は途方にくれました。その後の数年間は実際食っていくためだけの時間でしたから音楽どころではない。その後職を転々とするうちに時間的余裕もでき、改めて音楽に取り組むようになり、長い時間をかけて今日があるわけです。

もしあの時、と思うことは多々あります。あの時家を捨ててでも音楽の道に飛び込んでいたらどうだったか。しかしその時はそうしないことがベストな選択だった。その後どう展開しようがそれは個人が持って生まれた運命であると思います。







振り返ってみると、私は周囲の人たちにとても恵まれたなと思います。



まず幼少期は祖父と母。

祖父はたくさんのクラシック・レコードを持っていました。

戦時中もレコードは手放さなかったようです。

よく「第九」に連れて行ってくれました。

また、祖父自身尺八をやっていましたし、祖父の兄弟も

声楽、フルート、オーボエ、コントラバスなどをたしなんでいました。



私の才能を早期に見抜いたのは母でした。

母自身ピアノと三味線をやりますが、

母は嫌がる私を強引にピアノに通わせ、

ともかく基礎の基礎と言えるぐらいまで続けさせました。

でも、あれがなかったら、今日の私はなかったと思います。



クラシックに目覚めたのは小学校高学年の時。

担任の先生がクラシック・ファンでお弁当の時間に

クラシックを流していたのです。

それがきっかけでむさぼるように聴き始めました。



一般の大学を卒業して就職しましたが、

その時の上司にも恵まれました。

「今日は夜コンサートがあるんです!」と言うと

無言で笑みで手を挙げて「行って来い」と

定時にかえらせてくれました。



でもいろいろあって会社を辞めて

音大に進もうと思ったのは28の時でした。

この時ばかりは両親もさすがに考えたようですが、

結果としては快くOKしてくれたのです。



浪人の末最初の音大に進みましたが、

音楽の世界では知らない人はいないという

マエストロに師事できました。

そして私が交通事故で負傷してドロップアウトを余儀なくされ、

別の音大に進みましたが、

これまた日本を代表するマエストロに師事できました。



確かに家庭が中の上ぐらいの経済環境にあったことは確かです。

しかし、最初の音大に進んだ時は、

会社時代の貯蓄で殆どすべてを賄いましたし、

二つ目の大学も推薦により無試験で入れたので

お金は殆どかかっていません。



また、お金は奨学金制度が山ほどありますから

たとえ私立の音大に入ったにせよ、

奨学金で通っている学生はとても多いです。



そんなとこかな(笑)。

私を支えてくれているすべての人に今は感謝の気持ちしかありません。







ある程度の経済力があれば(アラガルさんは「貧乏だった」と仰いますが、昔も今も、学校の教員レベルを「貧乏」というのは「贅沢」ですぞ!)、良き理解者、導きを与えてくれる存在が身近に必要でしょう。



私の父は職業軍人(海軍)で、戦後は公職追放に遭いましたが、一部上場企業(業界最大手)に拾われましたので、我が家はそこそこの財力を持っていました。近所を見ましても、医者・医者・社長・弁護士…というような高級住宅地です。



母は結婚前に音楽の教師をしており、寿退職後は、暇にまかせてピアノを教えたりもしていました。



これだけ申しますと、最高の環境のようですが、私は幼少の頃からスポーツが大好きで、しかも格闘技を好みましたので、右手だけで骨折3回、おまけに指の靱帯を断裂させましたので、楽器の演奏には致命的なダメージを負いました。



少年の私にとってスポーツが音楽より魅力ある存在であったことは間違いありません。家にプロのスポーツ選手が来たりしましたが、プロのアーティストは来ませんでしね…。



それで、スポーツ選手として大成したかといえば、もちろんNOです!(一応、「全日本選手権」という大会に出場はしましたが…。)







やはり経済的な面、家族の理解、これらは音楽を勉強する上ではとても大切なものだと思います。



今の世の中、同じ月謝を払うなら音楽より塾だ、っていうところも多いと思いますしね。



音楽家になること、音楽をすること、これは収入のメインに据えることができるかどうか、とてもぼやけている分野なので、『失敗してもいい、やってみろ!』って言える両親がいないとそれなりな教育を受けることは難しいかな、と思います。



また、レッスンを受けるにも謝礼がハンパないこともあります。

普通の人からしてみればあり得ない金額を一度のレッスンに出すのもこの世界では普通のこと。



ただ、そういう環境が整っている方が音楽家への階段がしっかりしているというだけであって、それがなくても音楽家になれる方はいらっしゃるのです。

努力や才能や運によって。



そしてその中で特にも並々ならぬ努力のみによって生まれた音楽家の紡ぐ音楽は、必ず誰かの心に残るでしょう。







さて、私はといえば幼稚園のときエレクトーンに一年通った後、5歳でピアノを始めました。

母がピアノ講師をしていたこともあったのだと思います。



地元ではある程度ピアニストも輩出している教室でしたが、その先生に師事するには謝礼が高いため、ほとんど医者や会社社長、公務員のお偉いさんの娘息子ばかりでした。



そんなところに苦労して私を10年以上も通わせてくれた両親にはとても感謝しています。



そのおかげで音楽だけじゃない、人間的な様々なことを学んだし、音楽やってたおかげで海外に演奏旅行にも行けました。

これは私が上手かったからでは決して無く、親や周りが助けてくれたからです。



結局私は仕事では音楽を離れましたが、今でも好きなように音楽してます。



人生を音楽につくってもらいました。

その環境は、周りが助けてくれました。



やっぱりそういう環境にあることは、大切なのだと思います。







私はアマチュアで、非音大卒です。

しかし、音大はお金がかかる事が多いですし、

経済的に裕福だ、と言うのは重要なファクターですね。



しかし、私が生まれた頃、家は貧乏でしたが、両親は

情操教育が何より大事だ、と言って、ピアノを習いに

生かせてくれました。



父は一流大学の大学院出、文系で、大学時代、当時はラジオ

ですが、電通のラジオCMのいわゆるコピーライターのアルバイトを

やっており、そちらの給料の方が、就職した高校教師(国語)の

給料より高かったくらいだそうです。



父は昔気質の人間で、姉が大学に行きたい、と言った時も、

「女の子に大学なんていらん!」と言った位です。結局姉が

説得しましたが。



ですから母が外に働きに出るのも許さず、ただ母は自宅で出来る

アルバイトをやっていました。



でも姉弟にピアノだけは習わせてくれました。



父は能力があり教務主任から教頭とどんどん出世して、私が

大学に入る頃には東京の大学に行かせてくれる位の経済的

余裕はできました。



国立だから学費は安い。でも下宿代とか色々かかります。

父は私は男だから大学は必要で、合格発表を新幹線に乗って

東京まで一緒に見に行ってくれた位です。



話がそれましたが、やはり一番大事なのは、ご両親のご理解が

あると思います。



それから、私も東京の大学(私は関西在住です)に行かせてくれたように、

経済的な余裕は必要でしょう。



しかし、貧乏時代もピアノだけは習わせてくれた、父が仕事を頑張り、

母が内職をしてでもです。

(母は高卒ですが、ある程度ピアノは弾けました)



父の持ち声は私より遥かに良くて、PTAのオバサン達とカラオケに行った

時はリクエストの嵐だったそうです。



父母もピアノの発表会やオペラ公演、アリアのコンサートには必ず

来てくれていました。



やはり、ご両親の理解、ですね。







複雑と言えるかどうか?でも普通じゃなかったのは間違いないなぁ。。。

経済的には問題なしでしょう。理解・・・僕を産んだ母親は音大卒でした。3歳くらいからピアノは母に、5歳で母の先生に面接、別の先生を紹介され、小学校の2年生、7歳で母親は千の風に。しばらくは家事手伝いのおばちゃんが先生の家への送り迎えもしてくれましたが、すぐに新しい女が家に。。。。。

それから先は省略ざんすよ~



音楽に投影されてるか?どうでしょう、自分にはわからないなぁ。。。

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