2012年5月4日金曜日

日本の音楽教育は、いまだにドイツ・オーストリア圏音楽至上主義ですか。 以前、...

日本の音楽教育は、いまだにドイツ・オーストリア圏音楽至上主義ですか。



以前、クラカテで感想文の採点について質問をたてたものです。みなさんの回答を見ながら、生徒に感想文を書かせるという宿題が、結局教師の

指導の善し悪しにかかっていることを感じました。

それと同時に、自分の経験を思い起こしてみても、ドイツ・オーストリア圏音楽至上主義が子供たちをクラシック音楽から離れさせているのではないかと思いました。

ベートーヴェンは、音楽で思想や哲学を表現することを行った作曲家であり、そのことがクラシック音楽を「頭で理解しなければならないもの」「難しいもの」と一般に思わせているように考えられてなりません。

本当は、音楽はカラダで聴くものなのに・・・。

フランス音楽とくに印象派の音楽は、作曲者の感じたままを音楽にしていますよね。そっちのほうが、子供の感性にも直接ふれて、感想文も書きやすいのでは、と思っています。

どうでしょうか。いまだにドイツ・オーストリア音楽至上主義だとすれば、その功罪の罪の部分がありはしませんか?

ーーいまだに小学校の音楽の授業の思い出というと、ベートーヴェンやブラームスの怖い顔に見下ろされていたことが思い出されます。







そんな高尚な次元で学校の音楽教育は行われていません。

中学校は週1回の授業で、合唱コンクールの練習をし、リコーダーをある程度行い、鑑賞をつまみ食いで行うくらいのことしかできておらず、楽典・ソルフェージュはお寒い限りです。

高校の多くは週2回の授業が1年生だけにあり、合唱・器楽・鑑賞をバランス良く行って終わりです。学習指導要領通りにやると、体系的な音楽史の授業はできず、民族音楽は東アジア地域を中心と言うことになります。

ドイツ・オーストリア音楽中心主義が本当にあるのなら、それは功罪ありうると思いますが、それ以前にそんな一貫性・体系性を音楽という教科が持てているのか、はなはだ疑問です。

良心的な音楽教師は部活動に打ち込むことになりますが、吹奏楽は周知のように音楽の文脈から見るとちょっと特殊であり、音楽教育としてどうなのか、という部分があります。扱える時代・作品がちょっと狭いですね。音楽の要素の中で、ある部分がかなり欠落しているようには思います。合唱はいいかも知れませんね。ただ盛んな県とそうでない県の差が著しいようです。いずれにせよ、音楽を真面目に考えたときに必要な分野(楽典・ソルフェージュ・和声・音楽史・民族音楽学・音楽美学など)については、全く持ってお寒い限りで、指導される保障がないというのが現状です。

というわけで、音楽教育の問題点は、ドイツ・オーストリア圏音楽中心主義にあるのではなく、学校教育における音楽教育の位置づけが不明確である点(音楽教育で何をしてどんな人間に育てたいのかという点が「音楽の幅広い活動を通して,音楽を愛好する心情を育てるとともに,感性を高め,創造的な表現と鑑賞の能力を伸ばす」と実質ほとんど何も言っていない。高校音楽Ⅰの目標)と、それにより「まともな」教科と見なされていない点、にもかかわらず様々な必要性からなくすわけにも行かない、という八方ふさがりのような状態にあることだと思います。

実際、身もフタもなく言うと音楽教師の仕事は校歌指導や式典における吹奏楽演奏や合唱コンクールのようないわば「お祭り要員」としての仕事が求められることの大半であり、ほぼ全てです。教科「音楽」には、むしろ息抜き・潤い・オアシス機能が求められちゃいます。それはそれで大切ですが、もっとまっとうな求められ方が望ましいとは思います。

…と、知り合いの音楽教師が申しておりました。

従って、mshinodaさんの極論も理解はできます。作曲家の間宮芳生も同じことを言ってますね。








自分が学生の頃、やはり音楽鑑賞の際は

シューベルトや、バッハ、ラヴェル等。

今思うと確かに、ドイツ・オーストリアの音楽が多いと感じますが、

ベートーヴェンの思想や哲学など、

微塵も触れていません。

学校の先生によって授業内容もまったく変わってくるんだと思いますが、

音楽鑑賞の際の感想文というのはなかなか手こずった記憶があります。

トッカータとフーガを聞かされても、あまり平和なイメージは抱きません。



印象派の音楽を鑑賞用に聞かせた方が、

確かにイメージはしやすいと思います。

しかし意味わからないって思う子も居るはずですし、

感性が鋭い子や、クラシックが好きな子は何派でも

聞くんだろうと思います。



音楽は体で聞いて、楽しいと思える。

そういう様な授業でしたが、

学校の音楽の授業内容を仮に改善したとしても

クラシックが敬遠されずに済む。

という解決法に繋がるとはあまり思えません



結局クラシックは頭で理解しなければならない部分もある訳で、

実際難しいですから。

興味を持つ人が居れば、それでいい様な気もします。







ドイツ・オーストリアそしてフランス、西洋音楽の範疇ですね。日本の音楽教育はその傾向が強く、今、徐々に見直しの方向に進んでいます。自国の文化をもう一度、省みないと話になりません。芸大を始めとする音楽大学の心性はルイヴィトンのバックを持って喜んでいる若い女の子と何の変りもありません。あらゆる音楽的な生地がアジアと西欧では違うものと認識した上で、今後は我々の音楽を創出していかなくてはならないと思います。







否定的な回答が多いのは、設問自体が、否定で始まってどうしたいのかを書いていないからではないでしょうか?

設問者はその辺りを考えて、冷静になってみてはいかがでしょう。







ぎりぎり現役高校生からひとこと。。。



>ドイツ・オーストリア圏音楽至上主義が子供たちをクラシック音楽から離れさせているのではないかと思いました。



ドイツ・オーストリア圏音楽至上主義だなんて、とんでもありません。。。



一度、私たちの教科書をじっくりごらんになってください。



「ワールド・ワイド」というがぴったりです!

日本、イタリア、フランスはもちろんアフリカの音楽やアジアの音楽も歌ったり、演奏したりしましたよ♪



夏休みの課題や音楽鑑賞の感想だって、ただ感想をかかせるようなものじゃなく、いろいろ工夫された課題が多かったです。





合唱大会で「大地讃頌」をクラス全員が感動して歌ったことを、ここで書いたら、

「教師の左翼思想に洗脳されている」、と言われました。いまだに腹が立ちますが、

学校教育を批判するのは簡単ですが、もっと実態をよく知ってから発言してほしいと思いました。。。







小学校・中学校・高等学校での音楽教育の現状は、無理・無駄である。やるべきではない。







補足に対して。。。。



>疑問に思ったことを質問してはいけないのですかと言いたいですね



別に「いけない」とは一言も言っていませんよ〜?

思いつきの質問に対する回答と

それなりに調べて疑問に思ったことを質問してる人への回答では

中身が変わってくるから聞いただけです。



>だから教師個人の問題だとは思っていません。

音楽教育のあり方が問題ではないかと考えていています。



だったら質問をもうちょっと整理した方が良かったんじゃないかな?

教師の問題だと言ってるように、私には感じましたし

他の回答者さんもそう捉えてるように思えます。





音楽教育だけじゃなくて、学校教育全体が大変みたいですね。。。

国語の作文や美術の作品を、宿題にして持って帰らせると

ほとんど親がやっちゃったりする家庭もあって

だからって放課後に残らせると、今度は「帰りが遅い」と苦情を言われるとか。。。





音楽だけじゃなくて

時間をかけて、ゆっくりじっくり「感性」を育てようとする風潮が

どんどんなくなってるような気がします。



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音大の教職過程も履修したし、教育実習にも行き

現場の先生方の生活も、短い間でしたがつぶさに見る事ができましたが

ドイツ・オーストリア至上主義。。。。云々と、学校の先生の音楽指導力云々。。。は

まったく別の問題だと思います。





授業にいくと、文科省の作る「学習指導要領」にのっとった教材を強制され

バッハ、ベートーベン、シューベルト。。。。に始まる鑑賞教材が並びます。

イタリアものはビバルディとヴェルディのオペラですが

オペラとして教えるよりも「総合芸術」として取り扱われ

日本の歌舞伎との比較音楽学的な扱いで。。。。



それらを数少ない授業で取り扱わなければなりません。



今、中学校では音楽の授業は一週間に一回しか無いんです。

週一回の授業(たった50分)で

年間を通して

鑑賞も、歌唱や合奏などの表現活動も、創作も、日本の音楽へのアプローチも

すべてやらなければならない現状をご存知ですか?



熱心な先生ほど

「一週間に一回の授業じゃ、ほんとに表面的なことしか扱えない」

と嘆いています。





そして、じっくり授業研究する間にも

夜間にも及ぶ生活指導、総合学習の授業企画や運営、行事運営

土日も部活動の引率や練習

(休日手当は一日8時間やって800円程度です、時給800円ではありません)

教育委員会へ提出する種々の書類作成

果ては未収家庭の給食費の回収まで教員がやっていることも。。。。。





私の通う合唱団にも、学校の教員になった仲間がたくさんいますが

採用されて2〜3ヶ月すると、練習に通う時間が取れなくなって

やめてしまったり、長期休団したまま戻ってこなかったり

合唱指導なんて、一番専門的に勉強しなきゃいけないのに

それができない現状。。。。。。。



>その功罪の罪の部分がありはしませんか



あったとしても。。。。。それは音楽教員だけが責めを負うもの?



これは単なる思いつきの質問ではなく

普段から学校教育に対して熱心に関わろうと

自分なりに勉強した結果の質問ですか?







>ドイツ・オーストリア圏音楽至上主義、と云いますより、まず西洋音楽至上主義ですよね!



その中の序列として、質・量ともにドイツ系の音楽がある程度尊重されるのは止むを得ないのかもしれません。バロック以前の音楽は古すぎますし、イタリアオペラは言葉の壁もあります。小中学生にとって、フランス近代音楽(ドビュッシーらは「印象派」という文言を嫌いました)より、ベートーヴェンやブラームスの方が分かりやすいようにも思えます。



それより、問題なのは、日本の音楽について、音楽教師ですら殆ど理解がないことです。最近では教員免許取得に和楽器が必修になったようにも聞きましたが、「ときわず」、「ながうた」等を漢字で表記できず、それらの区別もできない御仁が、「日本の音楽とは…」と教えています。



結果、日本音楽は「(全て)四七ぬきである」とか、「日本の音楽には和音がない」、等とあたかもわが国の音楽が西洋音楽に比して劣っているような印象を子供たちに植え付けています。



明治以降を考えても、ラフカディオ・ハーンは「西洋音階が12音ならば、日本の音階はその半音の半音まで(48音)ある」と驚嘆していましたし、昭和の近衛秀麿は雅楽・舞楽の和声をオーケストラ作品に取り入れる試みに腐心しました。そのような歴史も音大や教育大では無視されているということですか…。



d0a3ra11さんやsingspiel_die_zauberflteさんは教員を擁護されているようですし、確かに文部科学省にも問題があれば、教育現場が多忙化してきているのも事実です。しかし、ながら公務員の世界の中にあっても、教員はもっとも「楽」な仕事と認識されています。行政職など、土日も含めて日付が変わるまで働いている人が珍しくありません。一例を挙げれば、行政職において大卒国家公務員は定年退職まで勤められる者は約30%、地方公務員では50%です。皆、激務に耐えられず、肉体や精神を病んで職場を去っていくのです。他の職種に比して、自殺者も非常に多いのが現状です。それに対し、公立小中高の教員は殆どが定年まで勤めたあげく、定年後も再任用とやらで職場を離れようとしません。多くの先生が本音では他の職種より「楽」だと認識しています。勿論、まじめで多忙で、素晴らしい先生もいらっしゃいますが、一方で夏休み中など、10時ごろ出勤して3時には帰宅するような先生もいます。体制にも問題がありますが、現場の教員の責任は否めないと思われます。



まあ、これは音楽の教員に限ったことではなく、教科を問わず教員全体に対する私の不満です。新聞等で教員の不祥事が報道されない日はないくらいです。「人物重視」の採用を行った結果がこうなら、この国の教員採用試験で受かるような人は全員、落ちて欲しいと思うほどです。







ドイツ・オーストリア圏音楽至上主義という以前の問題だと思います。



私は、小学校のころ音楽の授業は苦痛でしかなかったです。最大の原因は楽典をきっちりと教えずに楽譜を読ませたり、トニク・ドミナントも教えないで和音をあてるクイズみたいなことを繰り返している授業にうんざりしていたからです。中学に入ると何の説明もなしに、移動ド唱法で歌わされ頭が大混乱。

でも中学校2年のときに音楽に熱心なとても怖い先生がいたのですが、その先生は、移調とか転調の基礎理論を自分でプリントをつくって教えてくれました。これで、音楽とはこういうことでできているのかと感動したわけです。移動ド唱法の意味もこれでわかりました。

いままでは、ハ調といえばお馬鹿な調、変ホ長調は賢い調、嬰ハ長調はとても難しく高尚な調だという感じ方をしていたので、そんなものがまったく間違いであったと認識。単に導音と主音の関係だったのかと感動。自分で楽典を購入して、学校の図書館にあった音楽の友社の音楽大辞典を読破。和声法や対位法、楽式、管弦楽法とかそうした勉強した結果、クラシック音楽に興味がわき高校に入るころには、十二音音楽も手中に収めていましたし、バルトーク、クセナキス、武満とかも良く聴いていました。



なので、初等教育においては、しっかり読譜力をつける教育をしてくれる方が、ヨロシイのだと思います。だからドイツ・オーストリア圏音楽至上主義であってもフランス主義であってもイタリアでもイギリス式であっても、それが正しく運用されているのであれば、別にそれが弊害だと思いません。

個人的には、コダーイ・メソッドが優れていると思っていますが、日本で導入するにはかなり困難でしょうね。







↓s氏の論は基本的には正解ですが、重大な見落としがあります。

現在の「学校」において教員の多忙化は恐怖そのものです。

生活指導、部活指導、書類・報告書つくりに追われ、専門の勉強をする時間など全くありません。



これは過去の文科省の「教員多忙化政策」が主な原因です。



↑e氏は自分こそが「大間違い」なのが分からないのですか?

過労死は自分の勝手ですが、それを強制するのはまさに「犯罪」です。

音楽をはじめとする「文化」などe氏には不要なものなのですね。

(死ぬまで働け!!)

それだけの労働を強制するのは「奴隷的労働観」です。

こういう考えでは日本の国自体が破滅します。







私はドイツで生まれたので音楽のドイツ至上主義は、ある意味納得できているのですが、日本の教育の場合、そんなことが問題ではなくて、音楽の教師の資質のあまりの低さ・・に愕然とする以外にないです。音楽を鑑賞させるときは、その聞かせる音楽について生徒に教えるべきことの数十倍、数100倍の知識が必要だと私は考えます。しかし、私が日本で実地で触れた先生方のクラシック、いやロックなども含めての知識の浅さには驚くものがあります。自分の専攻楽器や、吹奏楽関係の曲だけしか知らず、ベートーヴェンの交響曲もバッハのマタイもちゃんと聴いたことがない・・という教師がいくらでもいます。別にマタイを知らなかったら音楽を知らないとか言うつもりはありませんが、私の考えでは、およそ音楽を教える立場なら、その道のプロなら、「マタイぐらい聞いておけ」としか言いようがありません。アマチュアなら、えり好みするのもいいでしょう。たとえば、ラヴェルばかり好き、バルトークばかり好き、というのも一向に構わないです。しかし、仮にも教員として生徒を指導するなら、ドイツもの、フランスもの、まんべんなく知っていて、それぞれの音楽の特質を考え、生徒に与えていく・・・というのが至極当然です。それは、ロックや、ジャズも同じで、価値のあるものは沢山あります。それらを、生徒が将来、音楽好きになる、偏見なくできれば、聴けるようになる方向で、指導するべきです。



音楽がカラダで聞く、感覚で聞くものなのは間違いありませんが、その指針を示してあげられるのも、また教員の仕事です。ともかく音楽教員の資質向上・・・これが急務と感じます。特に、吹奏楽関係の方々・・中学生にサロメの7つのヴェールの踊りや、中国の不思議な役人を演奏させたり、切り刻んだ質の低いメドレーなど・・・レパートリーを見ただけで、見識を疑ってしまうような教育は避けてもらいたい・・というのが私の偽らざる実感です。(以上、私見です)



補足は、この原因は、教員自身の資質にもありますが、それを伸ばせない文カしょう、側にもあるのは当然です。忙しいことが、教育の質の低下なら、それを解消する努力が必要でしょう。一クラスの人数もドイツと比べたら多すぎます。







ドイツ・オーストリア以前に、クラシック音楽至上主義であるところが既に罪だと思います。



クラシック=勉強、授業

というイメージがその時点で罪です。



フランス系のほうがわかりやすいという意見は同意ですが、

それならばポピュラー音楽や民族音楽など、感情表現がはっきりした音楽のジャンルがいっぱいあります。

そちらの方が、ずっと感想を書きやすいと思います。



どんな時代、国の音楽だろうが、「クラシック」と分類される音楽しか鑑賞の題材にならないこと、それ自体が問題だと思います。

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